イラク日報検索【イラク日報村】

  2005年04月20日の日報 (8ページ目)

導く侵略者であるすべての十字軍戦士の墓場となる。○イギリスはイスラムの正義を保護するためにアメリカのように同

  2005年04月24日の日報 (10ページ目)

レボリューションを破壊しようとしている。我々は強くイギリス軍の占領に反対する。歴史を見よ。今彼らは再び我々を

  2005年09月28日の日報 (17ページ目)

することになる。※ ちなみに英国LO達は、いわゆるイギリス英語でなく我々の耳慣れたアメリカ英語で話てくれるの

  2005年10月02日の日報 (23ページ目)

)1夕方の事、しばらく席を外していたJ-2に戻るとイギリス人違がそわそわした検子、しばらくするとみんな荷物を

  2005年10月16日の日報 (22ページ目)

たのかも知れません。ジョークかもしれない。しかし、イギリス人を見ていると有色人種や果文化をそのようにとらえる

  2005年11月11日の日報 (18ページ目)

部隊交代し、当然のことではあるがBAS内で知らないイギリス人と出会うことが多くなり、もの珍しそう「な視線を以

  2005年11月14日の日報 (17ページ目)

J9cIMICの中長期計画担当のニコルズ少佐が母国イギリスに帰国した。 彼はMND(SE)のCTMIC「活動

  2005年12月29日の日報 (16ページ目)

る。(2 先日、J9のオフィスでCME活動についてイギリス海軍大尉と話をしていると、どこからともなくイギリス

  2006年02月13日の日報 (15ページ目)

  2006年02月13日の日報 (2ページ目)

別表「雇用者」参照○ その他(特記事項)・在イラクイギリス総領事(ジェームズ・カンスリー氏)がサマーワ宿営地

  2006年02月19日の日報 (20ページ目)

がどう思っているかは分からないが、ここに来るまではイギリス人はなんといってもアフタヌーン・ティーを作り出した

  2006年02月21日の日報 (18ページ目)

2月21日)1 コーヒーと紅茶の話、続報。2日前にイギリス人は結構コーヒーを飲んでるという話をしたが、今日新

  2006年02月26日の日報 (20ページ目)

J4会議旅行は終了した。この間、会議参加者10名(イギリス3名、オーストラリア1名、デンマーク1名、ルーマニ

  2006年03月06日の日報 (21ページ目)

うのと、我々は学校でアメリカ英語しか習わないので、イギリス英語を2ヶ月ぐらい勉強するよ。」というと、少佐は「

  2006年03月23日の日報 (15ページ目)

動務を始めて2ヶ月半が経過し、最初は無視されていたイギリス人にも挨拶してもらえるようになった今日この頃である

  2006年03月26日の日報 (17ページ目)

、いろいろな挨拶を含めて日本語を教え、私は引き続きイギリス英語を習っていこうと思う。2 衛星器材の整備や修理

  2006年04月03日の日報 (16ページ目)

つも写真撮影に応じることにした。撮影場所に行くと「イギリス警察の○○です。」と年配の警官に突然自己紹介された

  2006年04月22日の日報 (20ページ目)

に車両を止めて休憩している姿をよく見ることがある。イギリス軍だけでなく、デンマーク軍の姿も確認しているが、昼

  2006年04月23日の日報 (22ページ目)

し、「For Queen」と会食者全員した。やはりイギリスは女王の国なのだと思った。私は密かに「For Em

  2006年05月09日の日報 (19ページ目)

ネットで調べたりした内容を紹介したい。クリケットはイギリスで発祥した野球に似たスポーツで、サッカーに次いで2

  2006年06月02日の日報 (19ページ目)

る人に「コーヒー飲む?」と話しかけることはあるが、イギリス人はその程式ではない。 部員の中にいる全に何か飲む

  2006年06月03日の日報 (40ページ目)

その内容を紹介したい。「大英帝国勲章は1917年にイギリス国王ジョージ5世が創設した勲章で、最も新しく、最も

  2006年06月05日の日報 (22ページ目)

に関するグッズが、所狭しと陳列されている。やはり、イギリスの人達はサッカーに目が無いということを知ってか、売

  2006年07月05日の日報 (18ページ目)

一が炊かれていた。「この米国独立記念日、アメリカがイギリスから独立したわけであるが、同じコアリションの仲間と