イラク日報検索【イラク日報村】

  2005年11月11日の日報 (16ページ目)

ジアLO(陸大佐)が、唐突に「日本の自衛官の給料はいくらだ?」と聞いてくる。「オレも聞きたかった。」とばか

  2005年11月11日の日報 (18ページ目)

し担手できる我々日本人には、イラク人の方からうるさいくらいに挨拶してくれますが..3~4ヶ月かけてやっとほ

  2005年12月13日の日報 (20ページ目)

だろうな。オレの子供達も未だに日本語を全部は読めないくらいだから。」グ:「よし、それぞれの国の言葉で、の名

  2005年12月16日の日報 (16ページ目)

ビどころかれすらない。衣装ケースをテーブルにして、いくらかのスナック菓子とソフトドリンクが準備されていた。

  2005年12月24日の日報 (16ページ目)

情報はいうまでもなく我軍において重要なものである。いくら巡航ミサイル等があっても、情報がなければ戦闘はでき

  2006年01月20日の日報 (15ページ目)

としては確認の方法がなかった。裏を返せば、米英軍はいくらでも情報操作が可能ともいえる。・昨日、業務の軌送り

  2006年01月21日の日報 (16ページ目)

ヶ月近くがすぎた。サマーワ程ではないと思うが我々もいくらかイラク人と接触する機会があった。私の個人的な彼ら

  2006年02月21日の日報 (16ページ目)

LO用PCが壊れた。修理セクションに後送してから、いくら催促しても只今修理中だから待てとの返答しかない。I

  2006年02月25日の日報 (17ページ目)

る。びっくりしたことにキーを打つのが我々ではできないくらい異様に早かった。すごい勢いでキーを打っているので

  2006年03月25日の日報 (19ページ目)

)1 夏が近づいている。というか、ほぼ夏と言っていいくらいの暑さになってきた。日本に比べて湿度が高くない分

  2006年03月26日の日報 (15ページ目)

。今回の米軍側調接担当者は相当な「怠け者」で私からいくら顔を出しても全く心が通わない。また先方からの要請(

  2006年04月25日の日報 (18ページ目)

を製作していただいているメーカーの耳に届けてあげたいくらいである。もちろん、定期的に手入れをして、不測の事

  2006年05月01日の日報 (19ページ目)

と思うのだが)は、いつ申し受けを受けたのかわからないくらい素早い交代であったが、早速師団司令部の業務を仕切

  2006年05月20日の日報 (22ページ目)

しきものは見えず、どこまでが基地なのかさえわからないくらい広い敷地であった。基地案内は、全般説明の後デンマ

  2006年06月14日の日報 (15ページ目)

軽易に行われるため、兆候が発見しずらい。このため、いくら情報収集しても限度があり、かつ群のみで対処は困難で