イラク日報検索【イラク日報村】

  2005年12月12日の日報 (16ページ目)

ないか!」と業務を開始した。・1030、我が班のA少佐(米軍)が、所要を終え事務所に帰ってきた。すると「

  2005年06月12日の日報 (13ページ目)

長クラス0 少尉クラス0 中尉クラス0 大尉クラス少佐クラス中佐クラス○ 大佐クラス約200ドル (月給

  2005年09月28日の日報 (17ページ目)

かりであったが、先週これまで全くつき合いのなかった少佐と大尉がメールをくれた。29日以降、から私に連絡を

  2005年12月09日の日報 (17ページ目)

  2005年10月14日の日報 (18ページ目)

くらい、身長1B0cm体重100kgの巨躯の英陸軍少佐である。 固みに「Paoh」は、2週間で健若し、「

  2005年10月26日の日報 (18ページ目)

務所に各国のオヤジLOに混じって唯一女性LO(英国少佐)がいる。今朝、話をしていると肩に薦を載せて山を歩

  2005年11月04日の日報 (16ページ目)

自国ことのように騒いでいる。・C-9で勤務する韓国少佐も、顔を合わせると聞いてくる。「韓国は1000名削

  2005年11月09日の日報 (17ページ目)

大統領宮殿を観ていて、我々に立訪問を強く勧めた米軍少佐の言葉を思い出した。「百の会講より、一回の現場」…

  2005年11月14日の日報 (17ページ目)

る。本日、J9cIMICの中長期計画担当のニコルズ少佐が母国イギリスに帰国した。 彼はMND(SE)のC

  2005年12月01日の日報 (16ページ目)

こととなり、引っ越しが行われた。引越前日,長の米軍少佐と会った時、「引っ越しだって?」と聞くと、「広い部

  2005年12月04日の日報 (20ページ目)

た。2 夕食は、英国人警察官と一緒になった。英陸軍少佐と同じような階級章を付けていたが、少佐と中佐の間く

  2005年12月05日の日報 (18ページ目)

分で「割った」。面白い反応をしたのは英国LOと米軍少佐だった。英軍LOは私を遠くから私を発見し、ずっと見

  2005年12月08日の日報 (16ページ目)

のを剥がそうとしたが、強い粘着力で剥がれなかった。少佐は「まあ、いいや。けれども、このポスターに大き〈書

  2005年12月08日の日報 (18ページ目)

た。2 同じくルーマニアの話であるが、LO (陸軍少佐)によれば、現在、師団司令部のスタッフとしてが勤務

  2005年12月10日の日報 (16ページ目)

部G-3のHatch Kepperは、英装軍予皆役少佐である。1990年に退役して予備役となっている。

  2005年12月11日の日報 (24ページ目)

がある。「ポルトガルの大射は、本来は2年前の6月に少佐になるはずであったが、予算がないということで昇任が

  2005年12月17日の日報 (17ページ目)

、1週間程前に交代し沈黙を保っていた運用延長(英・少佐。JS OPEのNo. 2。部長がデンマーク人であ

  2005年12月18日の日報 (20ページ目)

つもの通り勤務していると、同じ部屋で勤務する英陸軍少佐に隣の部屋に来いと言われ、行ってみることに。どこか

  2005年12月21日の日報 (19ページ目)

気溢れる初心表明であった。これで役者(運用班長:英少佐 - 参謀長:英大佐 - 師団長:英少将)が揃いJ

  2005年12月26日の日報 (18ページ目)

ろそろ、クリスマスが近づいてきたある日、チーフのA少佐(米軍)が、「クリスマスもあるし、自分の部隊に行く

  2005年12月28日の日報 (17ページ目)

長付きMA(Military Assistandの少佐が親指を立てて、すばらしい訪問だったと言ってくれた

  2005年12月29日の日報 (15ページ目)

ば。」と、関係ないといった感じで、ある。チーフのM少佐(米軍)は米軍だから、知っているだろうと聞いてみる

  2005年12月29日の日報 (16ページ目)

するが、夕方は、J3のメンバーだけで、運用班長(英少佐)が進行役となって、重要な作戦、案件等について関係

  2005年12月30日の日報 (17ページ目)

した。なかなか改善されない問題である。運用班長(英少佐)の話によれば、UK NSEの指揮官は、DSCOM

  2006年01月06日の日報 (15ページ目)

ンの人たちに「餅」を食べさせた。沖縄から来た米海兵少佐とモンゴル大佐は以前にも食べたことがあるらしいが、

  2006年01月07日の日報 (16ページ目)

の調整をサマーワから受けた後、事前に担当者(米陸軍少佐)に「耳打ち」をして、概ねの下調整をしておく。彼も

  2006年01月14日の日報 (18ページ目)

短期間のうちに全員交代した。その中に、日本語を話す少佐とイタリア語を話す軍曹がいる。我々とほぼ同じ時期に

  2006年01月18日の日報 (17ページ目)

フスタンLOと私が話をしていると、着任間もない英国少佐が話しかけてきた。それぞれの国の派遣部隊規模、活動

  2006年01月27日の日報 (16ページ目)

べくその国の言葉で帰す様にしている。あるイタリア軍少佐が「コンニチハ」と挨拶してきたため、「ボンジョルノ

  2006年01月28日の日報 (16ページ目)

税収集するのだ。本僚はコアリションの国々から大射、少佐クラスが動しており、・国際色豊かな勤務場所だ。「情

  2006年01月29日の日報 (18ページ目)

の違和感を感じたが、先日、バンド・マスターの米陸軍少佐と昼食をともにする機会があり、「時代の流れで、鍵が

  2006年02月01日の日報 (17ページ目)

と話すと、お互いにビックリ...・ この他、海兵隊少佐が話しかけてきて、奥さんが日本人で京都出身という。

  2006年02月02日の日報 (18ページ目)

日 誌(2月2日)はサムライだ!(マケドニア・鬼瓦少佐談)現在ナイト・シフト(夜7時~朝7時までの勤務)

  2006年02月03日の日報 (14ページ目)

受ける者はいなかった。そこで情報部分析チーフ(米軍少佐)が、「昨晩の発表は素晴らしかった。どうだい、?チ

  2006年02月05日の日報 (19ページ目)

を要。 私は三線だが、先日、自分でもすっJO 鬼瓦少佐考コアリション情報部C2の私の隣には、鬼瓦少佐(マ

  2006年02月10日の日報 (15ページ目)

を維持するために)MNF-1情報部で勤務する米陸軍少佐と昼食をしていた時、「バグダッドでどのくらい勤務す

  2006年02月16日の日報 (17ページ目)

れるイラク軍大佐、変な日本語を教えてしまった韓国軍少佐.…..等々。あと一応フダイエ少将も入るのかな?班

  2006年02月24日の日報 (18ページ目)

と、サマーワの担当も必死で調整している。このことを少佐に話すと早い分にはなんとかなるが、遅いのは「ホープ

  2006年03月04日の日報 (15ページ目)

副司令官(伊)のサマーワ視察の際に豪軍連絡幹部の少佐が同行していたが、彼は、拳銃と小銃をダブル装備して

  2006年03月06日の日報 (21ページ目)

話しをしていたら、イラク派遣前の教育の話になった。少佐が「何か特別なことを習うのか。」と聞くので、私は」

  2006年03月15日の日報 (20ページ目)

連、業支隊長スミッティ訪問関連(22日)、シェルパ少佐サマーワ訪問関連(18日)、射撃訓練関連(18日

  2006年03月16日の日報 (16ページ目)

ある。| スタッフLOは、情報部分析チーフ(米陸軍少佐)のもと2週間の研究期間を与えられ研究結果を報告し

  2006年04月02日の日報 (19ページ目)

の話しをするのを控えていた。昨日夕食で同席した韓国少佐が期せずしてWBCの話しをしてきた。内心穏やかでは

  2006年04月04日の日報 (17ページ目)

9時に変更となった。 が復帰し、情報部チーフ・米軍少佐が安堵している。は、最近期するところがあったのか動

  2006年04月20日の日報 (16ページ目)

り、BUA(朝の指揮官報告)でいつも隣に座る米陸軍少佐に聞いてみると、駄事項で「砲弾等の破片から身を守る

  2006年04月21日の日報 (15ページ目)

ハンバーガー」を頬張っていると、隣に座った米海兵隊少佐がこちらをしきりに見ている。食事が終わり、席を立と

  2006年04月22日の日報 (20ページ目)

jesty(ハー マジェスティー)J2ISTARの少佐は、私に会うたび「日本は天皇の軍隊(Imperia

  2006年04月24日の日報 (19ページ目)

Control Center)、又はJ1/J4担当少佐が報告している。現在約60%の人員交代が終わってお

  2006年04月27日の日報 (17ページ目)

れた。報告前の時間に、いつも隣に座っている米海兵隊少佐に「ラムズフェルド長官は帰ったのかな?」と聞くと「

  2006年05月24日の日報 (19ページ目)

。やはりJ4会議の前日は縁起が悪い。担当のハンター少佐には大丈夫かと聞かれたが、歩兵はどこでも寝れるとや

  2006年05月31日の日報 (19ページ目)

しており、日本隊の所属している部署のチーフ(米陸軍少佐)から与えられる課題を約2週間の期間をかけてグルー

  2006年06月28日の日報 (18ページ目)

団であるのでドイツに帰るそうだが、)暇を取った後、少佐に昇任し第7旅団の幕僚として勤務するとのことである

  2006年07月02日の日報 (21ページ目)

ては出したくないのかと思っていたが、先日砲兵中隊の少佐に会い、『お陰様で砲兵学校にはいい報告ができました