イラク日報検索【イラク日報村】

  2005年06月03日の日報 (13ページ目)

援別紙群長 キャンプ・スミッティ表敬群長を出迎える大佐。懇談の様子豪軍指揮官を訪問群長から記念品の贈呈(

  2005年06月12日の日報 (13ページ目)

中尉クラス0 大尉クラス少佐クラス中佐クラス○ 大佐クラス約200ドル (月給)約300ドル約370ド

  2005年09月26日の日報 (17ページ目)

結果をンターネットで検索していたモンゴルLO(陸軍大佐)が、「まだネットに結果がでていない。お前なら知っ

  2005年09月28日の日報 (18ページ目)

意気投合しました。4昨日のCIMIC会議において 大佐から、「日本はバスラにみんな引き上げるんだろう」と

  2005年10月12日の日報 (17ページ目)

をかける者がおり、誰かと思って振り返るとモンゴルの大佐だった。「いい写真を見せてやるから来い。」と呼ばれ

  2005年10月12日の日報 (18ページ目)

て何だ?」等予想もしてなかった質問が……日本いきの大佐もあまりに存じ無い日本の活動。情勢が許せば、バスラ

  2005年10月26日の日報 (18ページ目)

がはやり?-の道に面二器担いただいているボンゴル人大佐、昨日まで私見(73分け)だったが 全自カットでご

  2005年10月29日の日報 (15ページ目)

English speaker.| 多くの将軍、大佐が、「隊長の英語は素晴らしい」とほめていた。隊長の

  2005年10月30日の日報 (19ページ目)

、コアリッション事務所に行くと、いつものモンゴル人大佐がすぐに近づいてきて、「お前のあんな顔ははじめて見

  2005年11月02日の日報 (16ページ目)

本日の業務情報收集及VL名胜4 明日の予定ボーア大佐(元在京オーストラリア武官)と連潟交償を11月3日

  2005年11月02日の日報 (18ページ目)

党交换会何常業務・その他来访者对决(兵站内过布设、大佐佐世見交投金)0410-11性力回收输送支其onグ

  2005年11月03日の日報 (19ページ目)

の?・今朝、コアリッション事務所に行くと、モンゴル大佐、MND(SE)担当(米海兵大尉)が「おめでとう」

  2005年11月04日の日報 (16ページ目)

00名規模)」お前のところは?」、「SNRに来てた大佐が何か言ってなかったか?」等々何かと質問してくる。

  2005年11月05日の日報 (16ページ目)

集まって自己紹介し合っている中で、いつものモンゴル大佐が人一倍喜んでいる。(凡例:「モ大佐」モンゴル大佐

  2005年11月05日の日報 (17ページ目)

介した。全員の視線が、オーストラリアSNRのルーク大佐から私に移動した。何回目であろうか。-=-=-=-

  2005年11月10日の日報 (2ページ目)

記事項)・ムサンナ県治安最高責任者ムハマド・ナジム大佐がサマーワ宿営地来訪別紙第3「治安最高責任者ナジム

  2005年11月10日の日報 (16ページ目)

  2005年11月10日の日報 (18ページ目)

これまでコアリッション事務所の副所長だったガンター大佐(米海兵)が、Z(米国大使館の経済支援部署)に配置

  2005年11月11日の日報 (16ページ目)

れまで黙ってみんなの話を聞いていたグルジアLO(陸大佐)が、唐突に「日本の自衛官の給料はいくらだ?」と聞

  2005年11月11日の日報 (18ページ目)

と感じる。因みに今まで差別のようなものを感じさせた大佐はたった一人だけです(先日やっと交代されました).

  2005年11月14日の日報 (16ページ目)

「…」でも何となくみんないい気分で仕事に戻った。・大佐は、日本製品が何でも一番いいという。ボト, 車、時

  2005年12月01日の日報 (16ページ目)

ッション事務所で清掃する時は、同じような国のLO(大佐〜大)が全員でワイワイいいながら仲良く清掃する。彼

  2005年12月04日の日報 (19ページ目)

事務所長が決心された。ヘリが確保できたら連絡すると大佐に言われ待機するとともにサマーワにも、以産状況を連

  2005年12月05日の日報 (18ページ目)

務所のLO仲間達は、みんな喜んでくれた, モンゴル大佐を含む大半は「すばらしい。」とほめてくれた。スキン

  2006年01月29日の日報 (17ページ目)

  2005年12月13日の日報 (20ページ目)

センスがない)(カ:カザフスタン中佐、グ:グルジア大佐、ウ:ウクライナ中佐、ボ:ボスニア大尉、エ:エル・

  2005年12月15日の日報 (16ページ目)

ラク選挙当日のイラク陸軍司令部は、・ハンガリー陸軍大佐は、NATOの枠組みでイラク陸軍の育成支援を担当し

  2005年12月16日の日報 (16ページ目)

16日)0 LO秘密金請に出席?!・モンゴルLO(大佐)が私の所にコッソリ近寄ってきた。「今日の夕方日本

  2005年12月17日の日報 (15ページ目)

日)|LO秘密会歌(続編):(凡例「モ」:モンゴル大佐、「ブ」:ブルガリアLO、「ボ」:ポーランドLO、

  2005年12月17日の日報 (17ページ目)

の私が言うのは大変失礼だが、「切れ者の参謀長(英・大佐)が発案した新生J3が、本日、切れ物の新参運用延長

  2005年12月20日の日報 (18ページ目)

. バスラ日誌(12月20日)1 師団の幕僚長(英大佐)は、11月10日に着任以来、いろいろと外面的、内

  2005年12月21日の日報 (17ページ目)

。次回訪問の調整をした。話が一段落したところで、「大佐が「実はこれは秘密の話しだが…」と切り出した。(何

  2005年12月21日の日報 (19ページ目)

った。これで役者(運用班長:英少佐 - 参謀長:英大佐 - 師団長:英少将)が揃いJ3 Ops から師団

  2005年12月22日の日報 (2ページ目)

他(特記事項)・業務支援隊長が治安最高責任者ナジム大佐及び保健局長ファーレ氏と会談(宿営地)「別紙「業支

  2005年12月22日の日報 (14ページ目)

国語で同じ歌を歌うと|いうのは初めての経験だった。大佐もとても喜んで上機嫌だった。誰彼かまわず「この時計

  2005年12月25日の日報 (22ページ目)

情報)、県評議会ミーティングに関して(ブラックマン大佐参加)、TFMパトロールに関して、豪連邦総督訪問に

  2005年12月26日の日報 (10ページ目)

籍軍情報要約書中のREG-5 |およびブラックマン大佐の発言にあったRG9ともに該当するものなし。ただし

  2005年12月26日の日報 (21ページ目)

A少但別花过化指示(1)国家公安部、石油因迁地发、大佐就等重要的施发防部及国境优说结部署;对戒骑化中(2

  2005年12月28日の日報 (16ページ目)

時期も多忙な人たち・・クリスマスが終わり、ターター大佐も休暇に入った。食堂等の人口密度が一挙に低下したか

  2005年12月29日の日報 (15ページ目)

で屋上へ急いだ。・屋上に着いて見ると情報部長(米軍大佐)以下、15名くらいがちょうどセレモニーを始めたと

  2005年12月29日の日報 (16ページ目)

軍大尉と話をしていると、どこからともなくイギリスの大佐がやってきた。遠巻きに何を話しているか聞いてみると

  2005年12月30日の日報 (17ページ目)

al Support Element)の指揮官(英大佐)がテレビ会議方式で初めて参加した。師団長も、今日

  2006年01月05日の日報 (18ページ目)

述标、卜力一二追災、巡查死亡」LCC慕你是G-DA大佐、科老主县「 .… … … ….物-小米平病院だ

  2006年01月06日の日報 (15ページ目)

餅」を食べさせた。沖縄から来た米海兵少佐とモンゴル大佐は以前にも食べたことがあるらしいが、他は初めてとの

  2006年01月11日の日報 (17ページ目)

った。中将2名、少将1名、准将2名と将官5名の他、大佐3名との懇談を実質5時間の中に詰め込んだ時間計画が

  2006年01月12日の日報 (16ページ目)

他スタッフ一同。会議も終わりにさしかかったところで大佐が「現在、師団は10の効果を最大限に生かそうと考え

  2006年01月13日の日報 (16ページ目)

るが、海空装備品についてはどうも怪しい。・モンゴル大佐がすかさず「お前は統幕じゃなかったっけ?海空のこと

  2006年01月20日の日報 (15ページ目)

偶然[前コアリッション作戦部副部長)と行き会った。大佐の事務所を訪ね!| て、不在だったため、残念だなと

  2006年01月14日の日報 (16ページ目)

台借りてもまだ足りない。エル・サルバドルLO(海軍大佐(1月1日昇在))が、「俺もいってやるよ」と自ら運

  2006年01月14日の日報 (18ページ目)

がしくて、いるのかいないのかがすぐ分かった米海兵隊大佐が懐かしくなってきた。スミッティLO日々業務報告(

  2006年01月17日の日報 (17ページ目)

の倍の人数が集まって、申し送りを行っていた。そこに大佐から電話があった。 JI!・帰国途中にキャンプ・ヴ

  2006年01月19日の日報 (15ページ目)

言ってくる。社交辞令半分とは思」「いつつ、私自身が大佐と会えなくなると思うととても寂しい。 ・ ・・大佐

  2006年01月28日の日報 (2ページ目)

記事項)「戦国ガーロミッティを訪問し、TFM指揮官大佐)、次期TFM指揮官大佐)及びAMTG2指揮官中佐

  2006年01月29日の日報 (20ページ目)

いる。)な方だと感心している。本日、早速J7部長 大佐、J9部大佐と懇談していただいた。2 昨日、 室長

  2006年02月01日の日報 (17ページ目)

ド 日 誌(2月1日)○世界は狭い・先日、米海兵隊大佐に声をかけられ、は、帰ったのかと聞かれ、話しを聞い

  2006年02月09日の日報 (15ページ目)

顔を出した時に先ずすることは握手である。モンゴルの大佐とは、まずハグ(抱き合う)をして朝の挨拶を実施する

  2006年02月11日の日報 (17ページ目)

題である。宿泊施設は、階級ごと作りは若干異なるが、大佐以上は8畳程度の大きさのプレハブに1人、幹部は2人

  2006年02月12日の日報 (22ページ目)

ある詩をみんなで読み上げ、チャペラン(宗教職種)の大佐が説教を始める。この説教は、当然のことながら毎週違

  2006年02月16日の日報 (17ページ目)

いをする作戦部副部長、ハートのチョコをくれる海兵隊大佐、フダイエ事件からサーを付けて挨拶してくれるイラク

  2006年02月19日の日報 (18ページ目)

| バグ ダッド 日 誌(2月19日)0 マーチン大佐との再会パレス(多国籍軍司令部)で実施された高官視

  2006年02月25日の日報 (17ページ目)

かと1人で感心していると、向こうでJ9部長ローワン大佐がインターネット用パソコンで何やらぱちぱち打ってお

  2006年02月26日の日報 (18ページ目)

といえば、日本隊と大変仲の良かったエルサルバドルの大佐が本日早朝に帰国した。ほぼ毎日このエルサルバドルの

  2006年03月04日の日報 (15ページ目)

るキャンプ)での会議に参加する予定であるという豪軍大佐も拳銃・小銃のダブル装備をしていた。「各国の装備状

  2006年03月11日の日報 (18ページ目)

アドバイザーがスミッティを訪問、ヴォスバーブラウン大佐・ローソン氏(英POLAD)と会談(2) アルバイ

  2006年03月22日の日報 (16ページ目)

リーフィング・ルームには、対IED専門部隊長の陸軍大佐以下主要幕僚が控えており、S3の中佐がブリーフィン

  2006年04月11日の日報 (18ページ目)

ある。私が一番驚いたのは、師団司令部勤務のイラク軍大佐が車(ベンツ)に乗せてくれたことだ。最初は、丁重に

  2006年04月25日の日報 (18ページ目)

ていると、コアリション・オペレーション部の副部長の大佐に出会った。その大佐は、以前班長が紹介したように、

  2006年04月30日の日報 (22ページ目)

ンプ・ヴィクトリーに到着した時に、当時勤務していた大佐がドライバーをして我々をBIAP(バグダッド・イン

  2006年05月15日の日報 (18ページ目)

任曹長に一声かけてもらうと、対IED部隊長の米陸軍大佐自らが直接指示を出してくれ、1時間もしないうちに、

  2006年05月20日の日報 (17ページ目)

遣・バクダッドLOバスラLOスミンティLQウェート大佐越LO“通转型・旗報収集·火供法送伴手熟桃树受失措

  2006年05月20日の日報 (21ページ目)

味でも、悪い意味でもある。優秀な救パーセントの人(大佐クラス以上・サージャン・メイジャー・クラスはほぼ1

  2006年06月05日の日報 (22ページ目)

る。毎日精力的に働く姿は、前任者のベイビイストック大佐と同じで、朝早くから夜遅くまで忙しそうである。外見

  2006年06月16日の日報 (35ページ目)

の評判はすこぶる良く、あまり顔をよく知らない将官・大佐から「次はいつサマーワ訪問があるの?」と唐突に聞か

  2006年06月17日の日報 (40ページ目)

ているようであった。NATOは現在ハンガリーの陸軍大佐がチーフとしてルーマニア、チェ口等の国が勤務してい

  2006年06月18日の日報 (21ページ目)

ion country, Japan!」と言って、大佐のオフィスに私を招待し、日本に勤務していた当時の思

  2006年06月19日の日報 (41ページ目)

ion country, Japan!」と言って、大佐のオフィスに私を招待し、日本に勤務していた当時の思

  2006年06月21日の日報 (22ページ目)

ある名前)昨日食堂(DFAC)で、ある日系の米陸軍大佐が私とに 話しかけてきた。「私は防団50期一般課程

  2006年06月22日の日報 (19ページ目)

感覚からは何となく「しっくり」としなかった。時には大佐・将官クラスもくるのだが、これからは送って頂いた茶

  2006年06月28日の日報 (17ページ目)

いに送信しあったして楽しんでいた。先日はアルメニア大佐が居眠りしているところをデジタルカメラで撮られてし

  2006年07月09日の日報 (20ページ目)

泥の上での生活であった。更に天幕は帰国待ちの米陸軍大佐一行と同じ部屋であり、当初ナイト・シフト勤務の は